ネットの普及によって昔では手に入らなかった情報が、スマホを開けばすぐに手に入る世界になりましたよね。
ぼくもよくこのブログで書いたりするんですけれど、キュレーションサイトなんかで多いのが『○○をする為の5つの方法』とかいうもの。この手の情報を見れば手っ取り早く目的の情報にたどり着けるというので、人気なんでしょうね。
でも、情報が必要以上に溢れてしまっている現代で、この方法論ばかりを求めてしまっていると、自分が本当は何をしたかったのか?という本質の部分を見失ってしまうという人が多いんじゃいないでしょうか?
下準備をしていないから・・・
物事を達成するには最低限の準備が必要だとぼくは思っています。
「なんだかわからないけれど、気づいたら欲しい物が手に入っていた」なんて話を聞いたりしますが、それも本人は気づかないけれど『それを受け入れる準備ができていたから』。
なんの準備もしていない人、言いかえれば何にもしていない人のところにそんなものが転がり込んでくるほど世の中甘くない。
ドライブがしたかったら、とりあえず運転免許は必要なわけです。 免許を持っていない人がドライブをしたい!って言って運転したら法で裁かれますからね。
でも、意外とそれと似たようなことを考えている人が多いのかな?ってたまに思うんです。
それが『○○をする為の5つの方法』などの方法論ばかりを探している人。
これってさっきのドライブの話で言えば、「上手に運転をする5つの方法」みたいなものですよね。でも、これは運転免許を持っている人が対象。そうでない人が運転する方法だけを手に入れて運転をしたら、捕まっちゃいます。
この『○○の方法』というのは、あくまでもそれをする為に必要な情報だけ。それをする為にこんな下準備が必要ですよ~ってことは一切教えてくれません。
空き容量を作る為に、自分探しを
下準備ができていない状態で「あれをする為には、こうしなくちゃいけない!」みたいな、方法論完全主義者になってしまうともう大変。○○をやることではなく、○○をやる方法をやることで精一杯になってしまう。
で、気づいたときには結局ぼくはなにがやりたかったんだろう?みたいなことに・・・。
やっぱり、何か新しいことを受け入れる為には、その分の空き容量が必要なんですよ。その空き容量を捻出する為には、自分に何が必要か?を見極めないといけない。
つまるところ、ありきたりですけれど自分と向き合って、自分という人間についてちゃんと考えないといけないって思うんです。
それをやらないで情報だけをドンドンいれるから、ツラくなっている。 そんなひと多いんじゃないのかな?
自分を見つめることを教えてくれる一冊
あん (一般書) | ||||
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